騎馬民族スキタイと同化したイスラエル10支族

アッシリアに征服された北朝イスラエル王国のイスラエル10支族の消息は謎のままである。しかし騎馬民族スキタイと同化したという説がある。その詳細をみていこう。

 

 

騎馬民族スキタイとは?

 

スキタイはカスピ海沿岸を発祥地とする世界史上最初の騎馬民族で、当時の北アジアの草原を縦横無尽に駆け抜けていた。その痕跡は北欧から朝鮮半島にまで及び、その距離なんと東西で約7000キロに及ぶ。

 

彼らは非常に馬術に優れ、強力な戦力を持ち、古代オリエント世界で恐れられていた。

 

実際にアッシリア帝国を滅ぼしたメディナ軍やアケメネス朝を破り東方のアジアを席巻するほどの戦力を持っていた。

 

スキタイについてはギリシャの歴史家ヘロドトスによってこう記述されている。

 

「討ち取った敵の首を取り、血を飲む」(『歴史』ヘロドトス著)

 

ヘロドトスがいうようにかなり獰猛な騎馬民族であったようで、彼らは基本的に他国を侵略し、財宝や奴隷を略奪していたのである。

 

ちなみにスキタイはペルシア人からはサカと呼ばれていた。実はスキタイの一部はサカ族としてヒマラヤ山麓、現在のインドとネパールの国境付近で王国を築いている。その王族はのちにブッダ(ガウタマ・シッダールタ)を生み出すことになる釈迦族のことである。

 

一言にスキタイといっても複数民族で構成されていた騎馬民族で、支配者層はアーリア系であるが、セム系のユダヤ人、漢民族もいたようであり、釈迦族はモンゴロイド系で我々日本人と同じ系統である。

 

スキタイに同化し、釈迦族として存在した古代イスラエル人

 

失われたイスラエルの10支族はスキタイに同化したという説がある。

 

紀元前8世紀から7世紀にかけてスキタイが歴史に台頭した頃とイスラエル10支族が消えたタイミングが一致するし、古代ユダヤ人はそもそも遊牧民であったことから、スキタイと同化していたとしても不思議ではない。

 

アッシリア帝国に滅ぼされた北イスラエル王国から逃げ延びたユダヤ人たちがアッシリアという共通の敵を倒すためにスキタイと同盟関係を結んだことも考えられる。

 

先ほど述べた釈迦族も支配層のアーリア系と異なりモンゴロイド系であったことから、どこかのタイミングでスキタイに同化した民族だと考えられる。むしろその釈迦族こそ失われた10支族の血を引いているという可能性さえ多くの識者に指摘されているのだ。

 

 

実際に今もネパールに住む釈迦族の末裔のシャーキャ族やチベット人は遺伝子的に非常に近く、チベット民族の一つ「羌族(チャン族)」はアミジャーブという失われたイスラエル10支族調査機関の研究によってイスラエル10支族の末裔ということが判明している。

 

(チャン族についての詳細についてはWikipediaをご覧いただきたい)

 

それならば他のチベット民族やシャーキャ族もまたイスラエル10支族の末裔である可能性が高い。

 

ちなみに日本人もまたチベット民族やシャーキャ族と遺伝子的に非常に近いことが判明しており、共通して世界でも珍しいYAP(-)という独特な遺伝子を持っている(その遺伝子は「お人好し遺伝子」という別名があることも有名な話だ)。

 

つまり、日本人もまたイスラエル10支族の末裔である可能性が高いのだ。

 

ユダヤ人といえば白人のイメージが強いであろうが、古代のイスラエル人は有色人種だったことが判明している。そもそもイスラエルが位置する中東はセム族で占められるアジアであり、モーセもイエスも小麦色に近い肌をしていたと考えた方が妥当なのだ。

 

では白人系のユダヤ人(アシュケナジム)とは何者なのかというと、8世紀頃にカスピ海北部で興ったハザール王国のユダヤ教への改宗に伴って、改宗者がユダヤ人と名乗ったことに由来するとの説が有力視されている。

 

だから失われたイスラエル10支族はヨーロッパ系白人というよりもアジア系(アラビア系やモンゴロイド系など)の顔立ちをイメージしていただいた方がより適切であろう。

 

スキタイと匈奴の東への流れ

 

スキタイは前3世紀頃に忽然とアジア大陸から姿を消すことになるが、実際は騎馬民族として西アジアから東へ勢力を拡大していくうちに各地で原住民と同化していったのではないかと考えられている。

 

前4世紀頃にモンゴルから勢力を拡大していった騎馬民族、匈奴もスキタイと無関係ではあるまい。時代のタイミング的にも地理的にもスキタイの一部が匈奴になった可能性は非常に高い。実際、そのルーツは西アジアの高度な文明を持つ民であることが判明している。

 

そして匈奴は漢民族を圧迫しながらどんどん東へ勢力を広げていく。漢の武帝に制圧されるも内部分裂を繰り返しながらも時代に漢民族に同化していく。

 

このように東へ東へと動きながら現地民と同化していく大きな流れは長い年月をかけてスキタイと匈奴という騎馬民族によってもたらされ、その流れに古代イスラエル人も乗っていたのではないかと考えられている。

 

そして太平洋岸周辺に拠点を置いた東夷にも同化し、さらにもっと信仰のために最適な場所を求めて太平洋へ飛び出し、日本へやって来たのではなかろうか。

 

第二次世界大戦後、江上波夫によって唱えられた東北ユーラシアの騎馬民族が朝鮮半島から日本に侵略し、王朝をつくり天皇として君臨したという騎馬民族征服王朝説もあながち間違えではないだろう

 

「日ユ同祖論」はトンデモ話ではなく、世界の歴史を振り返ってみるとあり得ない話ではないのだ。

 

詳細は別の記事に譲るが、ユダヤ人が日本に来ていたという証拠は日本のいたるところに残されている。

 

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