始皇帝は中国人ではなくユダヤ人説の真相

ローマ帝国が大秦国と呼ばれたワケ

 

後漢の時代において古代ローマ帝国は「大秦国」と呼ばれた。ここで「秦」という文字が使われていることに注目していただきたい。

 

なぜそのように呼ばれたのか。その理由は一般的には古代ローマ帝国が中国のように偉大な国であることから、とされているがよくよく考えてみるとこれは実に妙なことである。

 

「大秦国」と呼ばれるようになったのは紀元後の後漢からであるがこの当時の王朝はもちろん漢王朝であり、秦は漢王朝が滅ぼした国である。滅ぼした国の名称の文字を使うのはどうもおかしい。

 

ましてや秦が非漢民族国家であるとすれば、漢王朝がローマ帝国に対し中国のように偉大な国の名前を表すのに「秦」の文字を使うのはどう考えてもおかしい。「大漢国」と呼んだ方が筋が通る。

 

なぜ滅ぼした王朝の名称にちなんで異民族の国名をローマ帝国にあてたのであろうか。

 

それは当時の漢王朝において「西方の異民族=秦」という認識があったからではないだろうか?

 

実は「大秦」という文字はローマ帝国以前の西方の国のアケメネス朝ペルシア、バクトリア、セレコウス朝シリアも大秦と呼ばれている。

 

また中国においても国名に「秦」を冠した国は春秋戦国時代の秦国、始皇帝の秦帝国だけでなく、「前秦」「西秦」「後秦」もあり、いずれも4世紀の五胡十六国時代で興った国である。

 

前秦は350年に東晋から独立した国で、氐族が中心となっている。氐族は民族的にチベット系であることが判明しており、使う言葉は漢民族とは異なっていたようである。つまり非漢民族だったのだ。

 

前秦は394年に滅亡するが代わって台頭したのが西秦と後秦で、西秦の王家は「鮮卑族」で後秦は羌族だった。鮮卑族は遊牧騎馬民族でのちに北魏を建国するが、民族的にはモンゴル系かチュルク系といわれている。

 

つまり「前秦」「西秦」「後秦」は全て遊牧民族系だったのだ。

 

羌族は失われたイスラエル10支族ということが判明しているし(イスラエルの調査機関、アミシャーブの調査による)、氐族と羌族は同じチベット系であることからこれもまたイスラエル10支族の可能性があり、鮮卑族はスキタイ文化の継承民族の一つで、過去の記事で触れたようにイスラエル10支族はスキタイに同化していた可能性がある。

 

 

以上のことを踏まえると、「秦」という文字にはイスラエル人、もしくはユダヤ人を意味するある種の暗号のようなものだったのではないだろうかと思えてくる。

 

中国におけるネストリウス派キリスト教(景教)の「大秦景教流行中国碑」には聖母マリアから生まれたイエス・キリストの誕生に関した記述があり、「室女誕聖於大秦」という文言がある。これは大秦でイエスがマリアから誕生したという意味であるが、ここでの大秦はローマ帝国というよりもユダヤにおいて誕生したと解釈した方が妥当であろう。

 

日ユ同祖論を研究した三村三郎氏は以上のことを踏まえ、以下のことを述べている。

 

「大秦とは耶蘇教の発祥地、すなわちイエスの生国なる猶太国を指していることは当然である」(『世界の謎 日本とイスラエル』三村三郎著)

 

(※耶蘇(ヤソ)教=キリスト教、猶太国=ユダ王国)

 

「秦=ユダヤ or イスラエル」と断定するにはまだ早いように思われるが、どうやらそれらの関係は深いことは間違いないようである。

 

それらの関係性を更に検証するために次の記事では、始皇帝の末裔を自称する秦氏(古代日本の渡来一族)=ユダヤ人説について追っていく。

 

ここから日ユ同祖論の全貌が明らかにされてくる…。

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