フリーメイソンによって起こされたフランス革命

絶対王政を倒し、近代国家創設に繋がったフランス革命。

 

その革命が実はフリーメイソンによって起こされたということはあまり知られていないのではないだろうか。

 

 

長年「陰謀説」と揶揄されてきたこの学説は実は近年歴史家の間で見直されつつある。

 

実際、ロシアの歴史家ピョートル・クロポトキン(1842年12月9日 – 1921年2月8日)は著書『フランス革命』の中で次のように記載している。

 

一七八九年六月における三族会議の招集や、八月四日夜の事件は、フリーメイソンの集まりで準備されたといっても、過言ではない」

 

またフランス革命とフリーメイソンのつながりを示唆するものとして、フランス人権宣言の絵にフリーメイソンの象徴である「プロビデンスの目」が描かれていることが挙げられる。

 

作者:Jean-Jacques-François Le Barbier 作品名:Declaration of the Rights of Man and of the Citizen

 

その目が上方の中心地にさりげなく描かれているのがお分かりいただけるだろう。

 

 

これではフリーメイソンが関係していないと言い切る方が難しい。

 

ではそのフランス革命を主導したメンバーはどのように革命へと民衆を扇動していったのかをこれからみていこう。

 

革命の中心となった組織、フランス大東社

 

18世紀のフランスにおいて中心となったフリーメイソン関連組織は「フランス大東社」といわれている。

 

ブルボン家の分家の一つであるオレルアン公のルイ・フィリップが組織のトップに君臨していた。

 

オレルアン家はフランス王国の5%が領地の有数の貴族であった。革命前に最初に王に逆らい自由主義貴族の代表になったこととしても知られ、マリーアントワネットに対してはたびたび中傷していた。いわば王への反乱勢力の先駆けともいえる存在だ。

 

また、思想家ヴォルテールやラ・ファイエット将軍、ミラボー伯爵など名だたるフランス革命の中心メンバーもフランス大東社に所属していた。

 

 

彼らは啓蒙思想の先導家でもあり「自由」「平等」「博愛」を方々へ説いてまわった。これはフランス革命の中核となる思想であるとともにフリーメイソンの思想でもある。

 

彼らの活動は功を奏して、フランス革命の直前にはロッジ数は約600、会員数は2~3万人と一大勢力となり、宮廷や議会、軍隊、教会など様々なところにメイソンが存在したといわれている。

 

そして1789年、暴徒と化したパリ市民が「絶対王政」の象徴であるバスティーユ監獄を襲撃する事件が起こり、フランス革命が始まった。

 

長のルイ・フィリップは自らの宮殿にメイソンを集め、そこを司令部として使ったといわれている。

 

革命後に発表された、かの人権宣言もフランス大東社のメンバー、ラ・ファイエットが中心となってロッジでつくられた。

 

つまりフランス革命とはメイソンによるメイソンのためのメイソンの革命だったのだ。

 

しかし、このフランス大東社は英国系のロッジからは「非正規」と認識されていた。

 

というのも、フランス大東社はフリーメイソンの規範となる「アンダーソン憲章」を勝手に改正し、無神論者でも組織に加入できるようにしたからだった。

 

イギリスのロッジは人間主義を説きながらも神の存在を大前提においていた。そのため元祖ともいうべきイギリス系ロッジからすればフランス大東社は神の存在さえも否定する無神論的結社であり、「正規」とは認められない存在だったのである。

 

当時の時代背景として無神論者が増えつつあった時代だったからこそ、フランス大東社は無神論者さえも受け入れ、絶対王政を倒すべく組織を拡大したかったのだろう。

 

イギリス本国のフリーメイソンが一般に政治問題を会合で話題にすることがなかったのに対し,フランス大東社の傘下に入った大陸系フリーメイソン組織は積極的に政治運動を起こし、社会改革を推進した。

 

いわばフランス系のフリーメイソンはフランス革命を機に元祖フリーメイソンの神秘性を捨て、より政治性の強い組織になっていったのである。そこから世界を大きく動かす存在になっていったことは言うまでもない。

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