失われたイスラエル10支族とは?消えた古代ユダヤ人の行方

日ユ同祖論を語るにはまず古代イスラエル王国の歴史と失われたイスラエル10支族の話からしなければならない。まずは古代イスラエル人(ユダヤ人)の神話と歴史から整理しよう。

 

 

古代イスラエルの12氏族

 

古代イスラエル人は預言者ヤコブ(別名:イスラエル)の子孫とされており、現代のイスラエル人(ユダヤ人)もまた同様である。そのヤコブは『旧約聖書』の大洪水で有名なノアの息子の一人セムの子孫だ。

 

ちなみにセムの兄弟ヤフェトの子孫はペルシア人、ハムの子孫がエジプト人をはじめとする黒人というのが旧約聖書の世界観だ。

 

ヤコブには12人の息子がおり、その子孫から12の氏族が生まれた。

 

具体的に列挙すると、ルベン族、シメオン族、レビ族、ユダ族、ナフタリ族、アシェル族、イッサカル族、ダン族、ガド族、ゼブルン族、ヨセフ族(のちにエフライム族、マナセ族に分離)、ベニヤミン族である。

 

出エジプト

 

紀元前13世紀頃、イスラエル人は古代エジプトで奴隷として虐げられていた。

 

そんな彼らを救ったのが預言者モーセ(レビ族)である。神からの使命を授かったモーセはイスラエル人たちを率いてエジプトを脱出。杖を振り上げ紅海を真っ二つに割って追っ手を振り切るという奇跡のシーンは映画でも有名だ。

 

シナイ半島にあるシナイ山で唯一神ヤハウェから「十戒石版」を授かる。歴史的にはこの時ユダヤ教が成立したとされる。

 

この時ヤハウェとの契約を結んだモーセとイスラエルの民はその後40年にも及ぶ荒地の旅を経て現在のパレスチナに辿り着く(モーセは約束の地を目の前にして死去)。イスラエル人たちはそこで王国を築いた。これが古代イスラエル王国である。首都は現在のエルサレムに置かれた。

 

南北に分裂した古代イスラエル王国

 

古代イスラエル王国はダビデ王の時代に急成長し、その息子ソロモン王の時代に全盛期を迎える。紀元前10世紀頃のことである。

 

ソロモン王の時代に「ソロモン神殿」がエルサレムに築かれた。礼拝のための神殿で、これが造られるまでは移動式の神殿「幕屋」で礼拝を行なっていた。

 

ヤハウェに祝福され栄華を極めたソロモン王であったが、彼の死後に王国の継承者を巡って内部分裂が起こり、ついには南北に分断するまでに至った。

 

紀元前922年、北には北朝イスラエル王国(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族)が興り、それと同時に南には南朝ユダ王国(ユダ族、ベニヤミン族)が誕生した。

 

レビ族は祭祀を行うために南北両方の国に分かれた。

 

失われたイスラエル10支族

 

北朝イスラエル王国はソロモン神殿とは別の神殿を建て礼拝を行なった。しかしのちに彼らは十戒で禁じられている偶像崇拝をそこで行ってしまう(黄金の子牛像を神に見立てて)。ヤハウェはそれに対して激怒し、その罰として他国の侵略という形で彼らを襲った。

 

紀元前722年、メソポタミアのアッシリア帝国が北朝イスラエル王国を侵略。3年もの間北朝イスラエル王国を包囲し、ついに首都シケムは陥落。北朝イスラエル王国は滅亡し、イスラエルの民たちは奴隷としてメソポタミア地方へと連行されてしまう。

 

その後アッシリア帝国はどんどん勢力を拡大し、紀元前670年にはエジプトを征服し、オリエント地方を統一することに成功。国内には壮大な大宮殿や図書館を築くなどして絶頂期を迎える。だがアッシリアの栄光は長くは続かず、紀元前612年、メディナ=カルデアの連合軍に敗北を喫する。オリエントの覇権は新興国に渡り、アッシリア帝国は呆気なく滅亡。

 

ここで奴隷にされていた北朝のイスラエル人たちはパレスチナに戻るかと思いきや、彼らはそのままメソポタミアに住み着きほとんど戻ってこなかったという。

 

そして不思議なことにいつの間にか彼らは姿を消したのである。

 

まるで集団失踪したかのように。

 

これが世界史上最大の謎の一つとされている「失われたイスラエル10支族」である。

 

ノアの方舟やモーセの紅海割りなどは神話の類であろうが、北朝イスラエル王国や南朝ユダ王国は歴史的に実在していたとされており、「失われたイスラエル10支族」もまた歴史的事実とされている。

 

彼らはどこに消えたのであろうか。

 

手がかりの一つとして『古代ユダヤ誌』(フラヴィウス・ヨセフス著:紀元前1世紀の歴史家)が挙げられる。それによると、

 

「10支族は今でもユーフラテス河の彼方におり、膨大な数となっている」(『古代ユダヤ誌』フラヴィウス・ヨセフス著)

 

彼が指すユーフラテス河の彼方とはパレスチナ地方からみたアジアのことである。彼らはアッシリアに征服された経験から、信仰を邪魔されない場所に移るためにアジアを放浪したという。

 

地理的条件からしてもイスラエルの西は海(地中海)、南はアラビアの砂漠であるために北か東に向かった可能性が高い。

 

それでは彼らはアジアのどこへ離散し、どこに落ち着いたのであろうか。次の記事でその詳細を追っていこう。

 

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