フリーメイソンはいかにアメリカを建国したのか

アメリカ合衆国の建国メンバーの大半はフリーメイソンだった。

 

初代大統領ジョージ・ワシントンもそう。二代目のジョン・アダムズ、三代目のトマス・ジェファーソン、そのほかベンジャミン・フランクリンなどがいる。

 

その後の歴代大統領もメイソンに占められることになるのだが(判明しているだけで15名もいる)、こういうことをいうと都市伝説のようで馬鹿馬鹿しく聞こえがちだ。しかし、移民の国アメリカにとっては人種や宗教を超えた「友愛団体」としてのフリーメイソンは必要不可欠だったのだ。

 

「フリーメイソンなくして、アメリカ合衆国史は語れない」とまで云われている。

 

そのフリーメイソンたちがいかにアメリカを建国していったかの経緯を追えば、フリーメイソン国家としてのアメリカの実像が見えてくるだろう。

 

 

ローマ教皇によるフリーメイソン排斥

 

アメリカのフリーメイソンは当然ヨーロッパ出身である。彼らはどういう経緯でフリーメイソンがアメリカに渡っていったのだろうか。

 

1738年、ローマ教皇によるメイソン排斥の文書「イン・エミネンティ」が発布されたことがきっかけになり、活動の場を失ったメイソンがローマ教皇の力が及ばない新天地を求め、アメリカ大陸に渡っていったという経緯があったのだった。

 

アメリカに渡ったものたちは同じヨーロッパといえども言語や人種、宗教が微妙に異なるため、フリーメイソンの「自由」「平等」という理念がそれらをまとめるのに最適なものだった。

 

ベンジャミン・フランクリンなどによって伝播されたフリーメイソンの思想は多くのアメリカ移住者の心を捉え、次第にイギリスからの独立を志すようになる。

 

イギリスvs独立軍

 

そういった背景がある中でボストン茶会事件が起こった(1773年)。ボストン港に来たイギリス商船の茶を暴徒が港に投棄したのだ。この事件自体ボストンのロッジリーダーが民衆を煽って起こされたものだった。

 

この事件を機にイギリス本国との対立は深まり、1775年に独立戦争が勃発する。この戦争にて独立軍を指揮したのがかのジョージ・ワシントンである。

 

独立軍は当初は軍と呼べるほど整備されていなかったが、アメリカにあった各ロッジ間の団結が軍を団結させ、メイソンでない民衆さえも巻き込むことができ、全体の士気が高まったのだった。

 

戦時中に「アメリカ独立宣言」が発表されるが、それにもフリーメイソンの精神が反映されている。フランス人権宣言に先駆け「自由」「平等」を理念に掲げたこの宣言に署名したメンバー60名のうち約7割はメイソンだったと云われている。それだけ独立軍の中核メンバーにメイソンが占められていた。

 

独立軍の士気は高かったものの、当時世界最強レベルだったイギリス軍と苦戦を強いられる。

 

そこでベンジャミン・フランクリンはフランスのメイソンのコネクションを通してルイ16世の支持を得ることに成功し、フランス軍が加勢することに。そのおかげで反撃に出られた独立軍は1783年のパリ条約で遂に「アメリカ合衆国」として独立を果たす。

 

こういった経緯から独立に最も貢献した人物の一人としてジョージ・ワシントンが初代大統領に据えられる。この当時の財務長官や司法長官に至るまでほぼ全員がフリーメイソンだった。

 

つまり、アメリカ合衆国とはフリーメイソン国家ともいえるのである。

 

アメリカは清教徒(プロテスタント)の国とする神話もあるが、アメリカ最初の入植者を載せたメイフラワー号の乗客102人のうち、清教徒はわずかに35人にすぎなかった。

 

また、1796年にワシントン大統領はトリポリ条約で

 

「いかなる意味においても、アメリカ合衆国はキリスト教国家ではない」

 

と宣言している。

 

当初のアメリカはむしろ反キリスト的でさえあったのだ。

 

アメリカ建国に貢献した者たちの実態はカトリックからの支配の脱却を志したメンバーといった方が適切で、その中心メンバーがフリーメイソンだったのである。

 

アメリカの自由の象徴でもある「自由の女神像(ルシファーの后メドゥーサがモデル)」がフランス系メイソンからの贈り物であるという事実からもわかるように、フリーメイソンの精神はアメリカという国家に根付いている。それは今も昔も変わらない。

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